2026年、正解が機能しなくなる
第4回 環境を変えると決めた日~正解から距離を取るという判断

前回、
「人はなぜ、分かっていても決められないのか」
という話を書きました。

何かを始める決断よりも、
環境を変える決断の方が、ずっと難しいと感じています。

始めることには、理由がつきます。
成長のため。
チャンスだから。
今やらないと遅れるから。

でも、環境を変える理由は、
言葉にしづらい。

うまくいっていないわけではない。
人間関係が悪いわけでもない。
成果がゼロなわけでもない。

それでも、
「ここではない気がする」
という感覚だけが残る。

正解が揃っている環境の居心地の良さ

僕が身を置いていた環境は、
一見すると、とても合理的でした。

成功事例が共有され、
「こうすればうまくいく」というモデルがあり、
行動すれば評価される。

迷わなくていい。
考えすぎなくていい。
流れに乗れば前に進める。

これは、
正解が機能している環境です。

そして、こうした環境は
人を安心させます。

でも、判断する場面が消えていく

安心と引き換えに、
少しずつ失われていくものがあります。

それが、
自分で判断する感覚です。

行くか、行かないか。
参加するか、しないか。
出すか、出さないか。

選択肢はあるようで、
実は「選ばされている」状態に近い。

判断しているつもりでも、
環境が判断の代わりをしてくれている。

そのことに、
僕はだんだん違和感を覚えるようになりました。

「合わない」と言うには、理由が弱すぎた

環境を変えようとしたとき、
一番困ったのは、
説明できる理由がなかったことです。

成果は出ている。
関係も悪くない。
周りから見れば、
「続けた方がいい」に決まっている。

だから、
「やめたい」と言う理由が、
どれも弱く見える。

でも、その弱い理由を
積み重ねて無視してきた結果、
判断そのものが鈍っていく感覚がありました。

正解が機能しなくなった、というだけの話

後から振り返ると、
大げさな話ではありません。

誰かが悪いわけでも、
環境が間違っていたわけでもない。

ただ、
その正解が、今の自分には機能しなくなった
それだけのことです。

正解は、
ずっと同じ形で機能するものではありません。

環境が変われば、
立場が変われば、
目的が変われば、
正解も変わる。

それを認めることが、
環境を変える判断だったのだと思います。

環境を変える判断は、前向きに見えない

環境を変えるとき、
人は前向きな言葉を期待します。

「次は何をやるのか」
「どこに向かうのか」
「どんな成果を出すのか」

でも、実際は違いました。

僕の判断は、
「まだ何をやるかは決まっていない」
「ただ、この環境からは距離を取りたい」
という、とても曖昧なものでした。

それでも、
その曖昧さを抱えたまま
一度立ち止まる必要があると感じたのです。

判断を取り戻すために、環境を変える

環境を変えるという判断は、
何かを得るためというより、
判断を取り戻すためのものでした。

自分で考える余白。
自分で決める責任。
その重さを、
もう一度引き受け直すための判断。

正解の中にいる限り、
その必要性に気づきにくい。

だからこそ、
距離を取るという選択が必要だったのだと思います。

次回は、
「正解を教える側」から降りる
という判断について書きます。

講座やノウハウ、
再現性を伝える仕事を手放すと決めたとき、
僕は何を怖れ、
何を守ろうとしていたのか。

「教える仕事」をやめる決断について、
振り返ってみます。

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