2026年、正解が機能しなくなる
第5回「教える仕事」をやめる決断~正解を渡す側から降りるという判断
前回、
環境を変えると決めた日~正解から距離を取るという判断
について書きました。
今回は、そこからさらに一歩進んで、
「教える仕事」をやめると決めたときの話を書いてみます。
教える仕事が、嫌になったわけではない
最初に断っておきたいのですが、
教える仕事が嫌になったわけではありません。
これまで、
試験対策や講座、
ノウハウの共有や再現性のある方法を、
たくさん伝えてきました。
それで助かった人がいたことも、
一定の成果が出たことも、
事実です。
だからこそ、
「やめる理由」が
とても分かりづらかった。
正解を渡せば、前に進めると思っていた
長い間、
僕はこう考えていました。
正しいやり方を示せば、
迷わず前に進める。
再現性を伝えれば、
失敗を減らせる。
これは、
ある時代までは確かに機能していたと思います。
でも、
少しずつ違和感が増えていきました。
正解を渡しても、決められない人がいる
同じ話をしても、
動く人と動かない人が、
はっきり分かれる。
正解は理解している。
理屈も分かっている。
それでも、
決められない。
最初は、
伝え方の問題だと思いました。
もっと丁寧に説明すればいい。
事例を増やせばいい。
図解すれば伝わるはずだ。
でも、そうではなかった。
問題は「分からないこと」ではなかった
話を聞いていくうちに、
気づいたことがあります。
多くの人は、
すでに分かっている。
分かったうえで、
決められない。
それなのに、
僕はさらに正解を渡そうとしていた。
これは、
ズレているのではないか。
正解を渡すことが、判断を奪っていたかもしれない
「これが正解です」
「この通りやれば大丈夫です」
そう言われた瞬間、
判断はその人の手から離れます。
もしうまくいけば、
「教えてもらったおかげ」。
もしうまくいかなければ、
「教えられた通りやったのに」。
どちらにしても、
判断の主体は自分ではなくなる。
この構造に、
自分自身が加担していたのではないか。
そう感じるようになりました。
教える仕事をやめる、という判断
教えること自体が悪い、
という話ではありません。
ただ、
正解を渡す役割を、
自分はもう引き受けられなくなった
というだけです。
今の時代、
正解は簡単に手に入ります。
AIを使えば、
それなりの答えはすぐ出てくる。
その中で、
僕が同じことを続ける意味は、
どこにあるのか。
そう考えた結果、
教える仕事から距離を取る判断をしました。
残したかったのは、「考える余白」
教える仕事をやめて、
失ったものもあります。
分かりやすさ。
即効性。
評価されやすさ。
でも、
一つだけ残したかったものがありました。
それが、
自分で考え、決める余白です。
正解をもらうのではなく、
判断を引き受けるための時間。
そこに向き合う場を、
つくりたいと思うようになりました。
次に進むために、降りる判断をした
何かを始めるよりも、
何かをやめる方が、
勇気がいります。
特に、
うまくいっているように見えるものほど。
でも、
降りる判断をしなければ、
次に進めないこともある。
教える仕事をやめる、
という判断は、
そのための一歩でした。
次回は、
ここまで削ぎ落としてきた結果、
「それでも最後に残ったもの」について書きます。
環境を変え、
正解から距離を取り、
教える仕事をやめてみて。
それでも手元に残ったのは、
結局何だったのか。
