2026年、正解が機能しなくなる
第7回 私はこれから、「判断」だけを扱う

前回、
削ぎ落としていった結果、それでも残ったのは「判断」だけだった
という話を書きました。

環境を変え、
役割を降り、
正解から距離を取り、
ビジネスモデルを見直してきて。

最後に手元に残ったものが、
判断でした。

なぜ「正解」ではなく「判断」なのか

正解は、もう十分にあります。

調べれば出てくる。
AIに聞けば整理してくれる。
事例も、テンプレも、無数にある。

それでも、
人は迷います。

それは、
正解が足りないからではありません。

判断を引き受ける場が、消えてしまったから
だと思っています。

判断は、誰かが代わりにやってくれない

どれだけ優れた助言があっても、
最終的に決めるのは本人です。

進むのか。
やめるのか。
今なのか。
見送るのか。

この部分だけは、
誰かが代わることはできません。

だからこそ、
判断は重く、
避けたくなる。

判断を扱うとは、どういうことか

僕がこれから扱おうとしているのは、
答えでも、正解でもありません。

前提条件。
選択肢。
それぞれを選んだ場合の代償。

それらを整理し、
自分で決められる状態をつくること

背中を押すことでも、
説得することでもありません。

決断の責任を、
本人に戻すための時間を提供する。

それが、
僕が引き受けたい役割です。

なぜ2026年なのか

2026年という年に、
特別な予言があるわけではありません。

ただ、
2025年まで機能していた正解が、
少しずつ噛み合わなくなってきている。

そう感じる場面が、
明らかに増えてきました。

AI、制度、環境、働き方。
どれも急速に変わっている。

その中で、
「正解を探す」こと自体が、
もう機能しなくなり始めている。

だから、
2026年という言葉を使いました。

正解を探すのを、やめてもいい

このシリーズで書いてきたのは、
何かを始めるための話ではありません。

むしろ、
正解を探し続けることから、
一度降りてもいいのではないか

という提案です。

立ち止まること。
迷うこと。
決めきれない時間。

それらは、
失敗ではありません。

判断を大切にしようとしている証拠です。

最後に

このブログは、
誰かを動かすために書いていません。

説得するためでも、
売るためでもありません。

自分が、
どこに立つのかを
言葉にしておくための記録です。

もし、
今まさに判断の前で立ち止まっている人がいたら。

このシリーズのどこかが、
静かに重なれば、それで十分です。

シリーズを通して

2026年、正解が機能しなくなる

この言葉は、
危機感ではありません。

判断を、
もう一度自分の手に戻すための合図です。

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